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デュエル・マスターズ初心者向けを意識した記事を書いています。
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『TOKYO決闘記零式』

第一話 0と1


重い灰色の雲を切り裂く一筋の光。
例えるなら、天野先生はそんな人だった。全てが灰色に覆われ、見動きが取れないような世界を変えてくれた存在だ。
一年前の出会いから多くの時間が流れた。
これは僕、一ノ瀬登(いちのせのぼる)が尊敬してやまない天野零語(あまのれいご)先生の物語だ。
大昭十六年四月十日 一ノ瀬登

時は、大昭十五年四月十日。
一ノ瀬登は浅草にある薫風館(くんぷうかん)なるカフェーの前にいた。彼にとって馴染みのない場所だ。
食事は大抵、下宿で摂る。純和風の家庭料理が多く、質素なものばかりだ。たまの外食でも一色十銭程度のものしか食べない。
一杯十銭のうどんやそばと比べて高いものが出るのだろうかと考えながら、登はドアに手を触れる。
「天野零語」
このカフェーにいるであろう男の名を呟く。この男を探すという命令を受けて登はここまで来たのだ。
ドアを開けた登を待ちかまえていたのはレコードから流れる音楽だった。一歩、足を踏み入れて中を見る。なるほど、噂通りだと心の中で呟いて、中を観察した。
流行りの西洋建築を取り入れた内装はハイカラなものだった。白に花柄の美しい壁紙。ニスを塗られた椅子やテーブル。珈琲の香り。人々の談笑する声。
素晴らしいものが並ぶ中、登は自分が場違いな存在ではないかと思い始めていた。そして、どこか安心できる逃げ場のような場所はないかと考え、周囲を探す。
ふと、一つのテーブルに人々が群がっているのが目に着いた。席へ案内しようとする女給を制して、登はそこへ向かう。だが、登の背丈では群がる人々が壁になって中心で何が行われているのか見る事が出来ない。
「ほら、ちょっとどいて下さいね。この人、通してあげて下さいな」
困った登に助け舟を出すように一人の女給が観衆をかき分けて道を作ってくれた。登は一度、頭を下げ、中心に近づいた。
中心に近づいた時、彼は何が行われているのか理解した。
「僕の番は終わりだ。あなたの番ですよ」
耳に入ったのは若い男のよく通る声だ。
登に背を向けて座っている白い背広姿が声の主らしい。椅子に座っている状態でも背の高さが伺える。他の男達に見えて少し細く見えた。
その男の手には何枚かのカードが握られている。テーブルの上には、背広姿の男が持っているのと同じ種類の札が何枚か並んでいる。
デュエル・マスターズ。
決闘札の相性で知られる札遊びで、異国の様々な文化と共に西洋から流れて来た最先端の遊びの一つだ。登も噂自体は聞いていたが、実物を見たのは初めてだった。
若い男に手番を渡されたのは着物姿の紳士だった。若い男と同じように何枚かの札を持っている。テーブルにいるのはこの二人だ。向かい合っての真剣勝負。他の人間が入る隙など存在しない。
和服の男はひげを撫でたり扇子を開いたりするなど、せわしない動きをした後、目を閉じ、こう言った。
「投了だ」
それは和服の男が降伏したという事だ。カフェーの静けさを打ち消すように歓声が響いた。

決闘札の大会が終わった。
女給に案内され、登は探していた男と同じテーブルを囲んだ。登の目の前にいる二十歳を少し超えた男が天野零語だ。仕立てのいい白い背広と同じ色の帽子が似合う。洋装が大衆に広まっているとは言え、背広姿が様になっている男は珍しい。
「どうぞ、ごゆっくり」
水の入ったグラスを置いた女給が去ったのを見て、登は単刀直入に切り出した。
「『田園』という雑誌の一ノ瀬登です。天野先生、ひと月前に失踪した東川(ひがしかわ)先生の代わりに原稿を書いてもらえないでしょうか?」
「やだ」
即答だった。文士らしからぬ外見のこの男は考える素振りも見せずに断った。
登が驚き、戸惑っていると零語はこう続けた。
「『田園』は僕の好みじゃない。それに東川の代筆というのが気に入らない」
それだけ言うと零語は水が入ったグラスに口をつける。そして、不機嫌そうに口を尖らせた。
話が違うと登は思った。
編集長の話では、零語は東川の友人だから断られず喜んで引き受けてくれるとの事だった。だが、実際はその逆だ。
どうしたらいいか判らず、登はもう一度零語を見る。彼はまだ口を尖らせている。
「零語さん、引き受けてあげなさいよ」
再び、登に助け舟が出される。零語に話を振ったのは、先ほど人をかき分けて通してくれた女給だ。おかっぱ頭に着物とエプロンのその女給は零語と登のグラスに水を入れた後、登を見て微笑みかける。
「ごめんなさいね。零語さん、子供みたいなところがあるから」
「夏子(なつこ)君が謝る事はない。全て『田園』が悪いのだから」
そう言うと零語は最新号の『田園』をテーブルに叩きつける。『田園』が悪いと聞いた登は恐る恐る口を開いた。
「あの……、『田園』の内容に何か問題でも?」
「そうなのだよ。問題ありだ」
「ないわよ」
零語が答えた直後に女給、夏子が答えた。零語はバツが悪いとでも言うように夏子を見る。
「夏子君、ちょっと黙っていてくれないか」
「だって『田園』に問題はないじゃない。零語さんの逆恨みよ」
「どういう事……、なんでしょうか?」
遠慮がちな声で登は二人に聞いた。
「『田園』の趣味が悪いせいで、僕が恥をかいた」
「違うわよ。順を追って説明するわね。この人、天野零語さんはこのカフェーの常連なんだけれど、女癖が悪くてお店の女の子にちょっかいばかり出してくるの。みんな、それが判っているから適当にあしらっているけどね」
「え!?僕の愛を真剣に受け止めてくれなかったのかい!?ひどい!」
抗議する零語を無視して夏子は話を続ける。
「今日は、『田園』の最新号に載っていた小説の文章を引用して女の子達を口説いていたわよね。私には、何て言ってたかしら?」
「記憶にございません」
零語は目を逸らしながら、それでもはっきりと言う。
「覚えてないなら思い出させてあげる。最初に一輪の赤い花を取り出して、それから――」
「わー!言わないで!思い出したから言わないでくれたまえ!」
零語は自分の耳を押さえた後、必死になってわめく。一輪の赤い花という言葉を聞いて登は、零語が何の小説を参考にして口説いたか判った。
「ね?悪いのは『田園』に載ってる小説じゃなくて、それを真似して変な事をしようとした零語さんでしょう?恥をかいたのも零語さんの責任なの。自業自得よ」
「そういう事だったんですか」
それならば『田園』に責任はない。登はそう思って安堵するのと同時に、目の前の男に仕事を依頼する事に不安を覚えた。
「だから、あなたが責任を感じる事はないのよ。ほら、零語さんもへそを曲げないでこの人に協力してあげなさいな」
登が零語を見ると、彼はまだ不機嫌そうな顔で腕を組んでいた。協力してもらえるようには見えない。そんな彼を見ていた夏子はこう言った。
「そうだ!零語さんがちゃんと協力してあげたら、デート、考えてあげてもいいわよ」
その言葉を聞いた零語の耳が動いたように登の目に映った。目の色は変わり、表情も明るいものになった。
「え?本当かい?デート!?いやー、僕も協力してあげなくちゃいけないかなとも思っていたんだよ。『田園』の編集長とは何度か話をした事もあるし。彼、二言目には大福の話をするからね。いや、決してデートに釣られたわけじゃないんだよ。ただ、文学を求めている人の元へ僕の文学を、僕の魂を、僕の作品を届けたいっていう気持ちが内側から溢れて僕を動かしているのだよ」
聞いてもいないのに、零語は熱弁し始めた。そして、懐から輸入品らしい万年筆を取り出す。
「一ノ瀬君と言ったね。原稿用紙を持っていたら出してくれたまえ。ない?なければ、何でもいいから紙をくれたまえ。この情熱を一刻も早くまとめておきたいのだ」
登から手帳のページを数枚受け取ると、零語はそこに文字を書き始めた。それは文章を書くなどといった生易しいものではない。凄まじい勢いでペン先を叩きつけ、己の何かを紙の中に封じ込めようとしているようでもあった。それだけの気迫があった。
「うまく言ったわね。零語さんってチョロいの」
登の耳元で夏子が囁く。その言葉は集中している零語の耳には入っていないようだった。
「でも、いいんですか?デートの約束なんかして」
「ああ、あれはデートしてあげる、じゃなくて考えるって言ったからいいの。後で適当にあしらっておけば大丈夫よ」
「え」
「一ノ瀬君!何をしているんだ!新しい紙をくれたまえ!」
登の言葉は零語の情熱的な叫びによってかき消される。既に五枚の紙を渡していたが、それらは全て文字で覆い尽くされていた。
「がんばってね」
そう言って夏子は去っていく。登は急いで手帳のページを切り取った。
それからしばらく零語は小説を書き続け、ある程度まとまったものを渡されたところで登は開放されたのだった。

零語は柱時計を見る。
登が去り、そろそろ帰ろうかと思っていたところだ。そんな彼の前に紅茶が出される。
「意地悪なんじゃないの、零語さん」
紅茶を置いた夏子はじっと零語を見ていた。口調も視線も、彼を非難するようなものではない。
「おごりかな。もらっておくよ」
そう言って零語は紅茶に口をつける。インド産のものらしい香りが鼻孔に広がる。
「つけておくわね」
「頼んでないんだけどね」
そう言って零語は苦笑する。その後、登が座っていた席を見た。
「『田園』の編集長さんから電話をもらっていたんでしょう?さっきの子の話を聞いてやって欲しいって。何で意地の悪い事言うのよ」
「東川の代わりというのが気に食わないからね。あいつは番茶のお茶受けにカステラを食べるような男だし、洋装が増えるこのご時世なのに和服しか着ないし、野球の話ばかりする。そんな奴の代わりなんて嫌だ」
夏子はそれに反応しない。零語が本当に言いたい事を言うまで彼を見ていた。
「それに……」
零語は小さく咳払いする。
「あいつの作品はあいつしか書けない。代わりはいない」
消え入りそうな小さな声だった。
「東川さんがいなくなって寂しい?」
零語はすぐには答えない。しばらく考えた後、懐からデュエル・マスターズの札の束を取り出し、こう言った。
「手強い相手がいないのは味気ない」
夏子は何も言わないが、心の中で頷く。零語も、夏子が口先だけの同意をしなかった事に感謝していた。
「多分、登さんも寂しいんじゃないかしら。前のここに来た時、東川さんが嬉しそうに彼の話をしていたわ。『田園』の編集部に素晴らしい若者が入ったって。東川さんも登さんの事を認めていて、登さんも東川さんの事を尊敬していた」
夏子は零語を見る。
「ねえ、零語さんなら登さんの気持ち、少しは判ってあげられるんじゃないの?」
「どうだろうね」
気のない返事と共に零語は立ち上がった。そして、懐に手を入れて眉をしかめる。
「万年筆がない。さっき、原稿を渡した時に彼が一緒に持って行ってしまったみたいだ」
零語は紅茶をカップに残したまま、立ち上がる。その姿は雪が積もった山のようだった。
「紅茶ごちそうさま!」
そう言い残した零語は、テーブルの上に金を置いて去っていった。
「最後の紅茶の分、足りないわよ!」
夏子は走りだした彼の背中に向けて言う。その声が届くよりも先に彼は薫風館の扉を開けていた。

書きかけの小説を受け取った登は思った。
理由はどうであれ、零語に作品を書く事の約束を取りつけた。そして、実際に書かせた。これで彼の仕事は成功したはずだ。
しかし、虚しい。
零語の作品に少しだけ目を通した。それは喜びや楽しさ、嬉しさなど人間の正の感情をむき出しにしたものだった。まぶしく輝くような文章がひしめいている。美しさや希望に溢れた文体に登の心は揺れ動いた。
しかし、違う。これは登が欲しかったものではない。
東川の作品は哀しさや寂しさや孤独について書かれた物が多い。零語とは正反対の暗さを描いた文体が特徴で、テーマも重苦しいものだった。
登は東川の小説のそこに惹かれていた。天から照らす希望の光ではなく、地上に転がる孤独の静けさと暗さ。輝きもないぞっとする暗いものに安らぎを感じ、心を任せていたのだ。
故に、零語がどんなに素晴らしい作品を書いても彼を認める気にはなれなかった。
「僕が認めるかどうかは関係ないか」
言ってしまえばその通りだ。編集長が気に入ればいい。登が気に入るかどうかは関係ない。
ふと、東川との思い出が脳裏をよぎる。彼に呼ばれて家に行ったのも一度や二度ではなかった。
『登君、実は私の友人に面白い男がいるのだが』
和服が似合う東川の口から語られる彼の友人の話。縁側から見える風景。庭にある立派な柿の木。
『この天野零語というのが、なかなか面白い男でね。近い内、君にも紹介してあげよう』
東川の妻が剥いてくれた柿を食べながら聞いた話を思い出す。その約束は果たされる事はなかった。彼は今から一ヶ月前に失踪してしまった。
「また会いたいよ」
そう呟いた時、夕日に照らされた後ろ姿が目に入った。その背中を見間違える事はない。東川だ。
声を上げるよりも先に東川は曲がってしまう。登は急いで追いかけた。
角を曲がるまでの二秒程度。走馬灯のように駆け巡るのは東川との思い出と、東川の作品を読んだ時に感じた心を揺さぶられる気持ちだった。実際に顔を合わせた時に見える彼の穏やかな笑顔と、ほの暗さと悲哀を感じさせる作品の雰囲気の差。どちらも東川だ。肉体を通して見せる東川と文章を通して見せる東川。登はそのどちらも好きだった。
「先生!」
角を曲がった直後、登は東川の背中に言葉を投げつけた。
そこで、動きが止まる。言葉が消える。
ほとんど光が届かない路地裏だった。その中で見えるものが三つ。東川の背中。白く伸びた太い紐のようなもの。そして、腹に紐のようなものの先端が突き刺さった野良猫だ。
紐が刺さった猫は現在進行形で衰弱している。元々横たわっていた猫の腹はしぼみ始め、あばらが浮き出た。白い紐が猫から何かを吸い取っているのだ。
「先生……」
今、目の前で起こっている事の答えを知りたくて東川の背中に声をかける。彼が振り向いた時、答えが見えかけた。
彼の右手が白くなっていた。人差し指が紐のように変化し、伸びている。その先にあるのは死にかけた野良猫だ。野良猫は鳴き声をあげる事もなく、白い紐に命を吸われていく。まるで空気を抜かれているかのようだ。紐が腹から取れた時、猫の体はミイラのように干からびていた。
対して、東川は静かに一息ついた。まるで、空腹時に自分を満たす為に食事を摂った直後のような、満腹感と食後の余韻を味わうような呼吸だ。
「足りない……」
東川は登を見た。それは、親交がある者を見る目ではない。食糧を見る目だ。
東川の異常なまでに白い手の指が伸びる。紐のような五本の指の先は真っ直ぐ登を狙ってきた。
目を閉じる暇もなかった。登はずっと白い五本の指先を見ていた。何が何だかよく判らないが、自分は東川の姿をした何者かの手にかかってあの野良猫のように死んでしまうのだろうと感じていた。
東川の姿をした何者かの正体は気になっていた。しかし、それを知る事もなく自分は死んでしまうのだろうと理解していた。
気がつくと、白い背中が登の目の前に現れた。音も気配もなかった。それが人間の背中だと判るまで少し時間がかかった。
「ぐあ……が……!」
痛みをこらえるようなうめき声が聞こえる。それは目の前にある白い背中の人物のものではない。東川の姿をした者が発していた声だ。聞き慣れた東川と同じ声だ。
「はあ……はあ……。ふぅー……」
対して白い背中は荒い息をしていた。よく見ると肩が上下している。顔を上げると白い帽子をかぶった頭も上下しているのが見えた。
「僕……、ペンより重い物は持たない主義なんだけどね。そうそう、ペンと言えば、僕の万年筆。君が持って行っただろう?」
白い背中が振り返った。息を切らした天野零語がそこにいた。右手には重そうな鉄扇を広げて持っている。鉄扇には青い血がついていた。彼は手首を振って鉄扇についていた血を飛ばす。
「何をした……」
東川の姿をした者がこちらを見る。彼は右腕を押さえていた。登に向かって伸ばした白い指は全て弾き飛ばされたように第二関節から先がなくなっていた。そこから青い血がしたたり落ちている。
「人間じゃない……!?」
「そう。化け物の類さ」
登の独り言に零語が答える。彼は鉄扇を懐にしまった後、東川の姿をした者を見た。
「失踪したはずの東川の姿をして何をしていた?いや、理由はどうでもいいか」
その声には怒気が混じっている。薫風館で話した時の飄々と(ひょうひょう)した態度とは違う。
「勝手に僕の友人の姿を使うな。それは東川への侮辱だ。それともう一つ。今日知り合った新しい友人を傷つけようとしたな。これは許せんよなぁ?」
「だったら、どうする?」
東川の偽者が零語を睨みつける。見ると、彼の右手の指の断面から新たな指が生え始めた。やはり、零語が言うように人間ではなく、化け物だ。
東川の偽者の問いに答えるよりも先に、零語は懐から黒い箱のような物を取り出した。それを見た東川の偽者は「そうか」と言って懐に手を入れる。
「お前か。仲間から聞いた事があるぞ。決闘札を使って仲間に手をかけた奴がいると……。私は他の奴とは違うぞ?」
彼もまた、零語と同じような黒い箱を取り出した。二人がそれを開けると、デュエル・マスターズの札が顔を見せる。
「天野先生……、一体何をするつもりなんですか?」
登にとって今の状況は理解を超えていた。東川の偽者を見てからの出来事を理解する答えを求めて登は聞く。
「こいつを消しながら教えてあげるよ。さて……」
零語が箱の中からデュエル・マスターズの札の束を取り出し、空中に投げる。散らばったはずの札は自らの意思を持っているかのように好き勝手に飛び回る。その後、飛び回っていた四十枚の札は一か所に集まり、零語の足元に収まる。零語はその上から五枚を取り、横一列に並べた。まばゆい光と共に、横一列に並べた札と同じ枚数の青い縦長の壁が現れる。
零語は、五枚の札を引いた後、壁越しに東川の偽者を見る。
「決闘許可書保持者、天野零語が宣言する。東川の姿をしたドッペルゲンガー、お前に決闘を申し込む!」
登が見ると、東川の偽者も零語と同じように準備をしていた。互いに決闘札を構えて戦いが始まる。
「一ノ瀬君も噂くらいは聞いた事があるだろう。決闘札、デュエル・マスターズの中には特別な力を秘めたカードがあり、それを使った決闘をする事を国から認められた者がいると。今、君の目の前で起こっているのが、特別な決闘だよ」
零語は背後にいる登に教えながら札を動かす。零語の場には、彼から見て上下逆向きになるように黄色い札が二枚置かれていた。彼の細く長い指がそれらを横向きに動かす。
「光文明のマナ、二枚をタップ。僕は《一撃奪取アクロアイト》を召喚し、手番を終える」
すると、青い壁の前に金色の光を発しながら人型の生物が現れる。紺色の街頭を着たその生物は腕を組んで東川の偽者を睨んだ。
「決闘札の生き物が出て来た……!」
「そう、遊びじゃない。本物の戦いだからね。デュエル・マスターズの札は陰陽道の式神のようなものさ。札を通じて術者が力を使い、実体を生み出す」
「え……?」
当たり前のように説明する零語だったが、説明されても一度で理解出来る事ではない。登は助けを求めるような目で零語を見た。
「《一撃奪取ブラッドレイン》を召喚」
同じように東川の偽者もカードを動かす。紫の光と黒い煙の中から、海外の保安官のような姿の男が出て来た。それもデュエル・マスターズの生き物の一つだ。登は東川から教わった少ない知識を思い出す。
東川の偽者の手番が終わった。零語は手早い動きで札を動かし、《アクロアイト》と呼ばれた生き物の札の上に新しい札を載せる。
「そして、色々な札を使う事で生き物を強化する事も出来る。《アクロアイト》を《聖球リブリバリア》に進化!」
《アクロアイト》の体が金色の光に包まれる。すると、それはいくつもの球体で作られた体へと変化した。頭部の球体が開き、中から西洋の龍を思わせる顔が現れる。
「美しいだろう?《リブリバリア》でシールドを攻撃する!と、その前に……」
《リブリバリア》の札に指先を置いた零語は振り返って登を見た。
「危ないから少し下がっていたまえ。あと、万年筆に傷をつけたらひどい目に合わせる」
一言注意を終えると行動を再開した。零語が《リブリバリア》の札を横に傾けると、球体の龍は宙を舞い、《ブラッドレイン》の横をすり抜けながら東川に向かって進む。《リブリバリア》は持っていた槍を突き出すが、その攻撃は東川には届かない。東川の前にある五枚の壁に阻まれているからだ。故に《リブリバリア》の攻撃目標は壁の中の一枚となる。
《リブリバリア》の槍の先が触れた瞬間、硝子が割れたような音と共に壁は砕け散り、そこを中心に風が吹いた。
「うわっ!」
零語から少し離れていた登は突風に吹き飛ばされ、地面を転がった。慌てて場を見ると、東川が破られた壁を作り出していた札を手に取っていたところだった。
「破られたシールドは手札となる。五枚のシールドを全て破って相手に攻撃をすれば勝ちだ」
零語は登に背を向けたまま呟くと、東川を守る壁、シールドを指した。
「まだ終わりじゃない。《リブリバリア》は一度の攻撃で二枚の楯を破る。二枚目はこれだ!」
零語の細長い指が差した楯目掛けて《リブリバリア》が突撃し、槍で貫いた。
すると、楯が砕ける音と共に中から巨大な鎌が出て来た。驚く間もなく、その鎌は《リブリバリア》を切り裂いた。傷つき、力を失った《リブリバリア》は地面に落ちていく。
「一体、何が……?」
「シールド・トリガーさ」
独り言のような登の言葉に零語が答えた。その言葉を聞いて、登はその鎌をよく見た。
楯があった空間から鎌が出ていた。その後、鎌を握る腕と体、頭、脚が出る。全体的に黒い姿をした西洋の死神のようだった。
「シールドを破る時、タダで使える札さ。今みたいに突然出てくるから心臓に悪い」
「その通り。そして、私の《デス・ハンズ》は登場時に相手の生物を一体破壊できる」
楯より飛び出した《デス・ハンズ》は鎌を両手で振り回した後、倒れた《リブリバリア》を蹴飛ばした。
「こいつ、本物の東川に負けないくらい嫌な戦い方をするな。でもね……」
零語は得意気な顔で左手を伸ばす。すると、彼の楯が音を立てて割れ、《リブリバリア》の傷がふさがっていく。
「《リブリバリア》が持つ能力、エスケープさ。自分のシールド一枚を犠牲にして再生出来る。金剛石が砕けないように《リブリバリア》も砕けない。見たまえ!蘇った《リブリバリア》の美しい姿を!」
《リブリバリア》は再び宙を舞った。鏡のような光沢のある体には傷一つついていない。
「蘇ったから何だと言うんだ。私が使役しているクリーチャーの数は二体。お前より多い。さらに……」
東川は新しい札を場に出す。黒光りする鎧の生物が現れた。それを見た瞬間、零語が舌打ちする。
「《暗黒鎧ジャガード》か。攻撃を防ぐのと同時に、相手を道連れにして葬る嫌なカードだ」
「その通り。そして、《リブリバリア》も不死身ではない。楯がなければエスケープは使えない。行け!」
東川が《ブラッドレイン》と《デス・ハンズ》に命じる。二体の生物の攻撃で零語の楯は残り二枚となった。
「これで楯の数もクリーチャーの数も私が上だ!」
「おっと、そう言って油断するのはまだ早いぜ?」
その時、光と共に零語の場に新たな生物が姿を見せる。その光を浴びて、《ジャガード》が倒れた。
「《交錯の翼アキューラ》だ。《デス・ハンズ》と同じくシールド・トリガーのクリーチャーさ。登場時に相手クリーチャーの動きを一時的に封じる事が出来る。さあ、反撃開始だ!」
零語は出したばかりの《アキューラ》に一枚の札を置いた。《リブリバリア》が登場した時のように《アキューラ》の姿が光に包まれて変化していく。変化を終えた《アキューラ》の姿は《リブリバリア》と同じような球体で出来た龍のようだった。
「進化クリーチャー《シルドアイト》。美しい曲線だろう?特に頭部のこの辺りが……。いや、長くなるからこの話はまた今度にしよう」
咳払いをした零語は、自分の手札の一枚を引き抜いた。左手の指先で挟み、夕闇の空にかざす。
「《シルドアイト》の登場時、手札を一枚シールドに変えられる。僕が選ぶのはこれだ!」
零語は天にかざした札を投げた。それは青い光を発しながら新たな楯に変化した。
「そして、《リブリバリア》と《シルドアイト》で攻撃!」
零語が使役する二体の球体の龍は《デス・ハンズ》と《ブラッドレイン》目掛けて動く。
「行け!」
《シルドアイト》の拳で《ブラッドレイン》が宙を舞い、《リブリバリア》の剣が《デス・ハンズ》を貫く。優位に立った零語は振り向き、「どうだい?」と登に聞いた。その得意気な顔は薫風館で小説を書いている時と同じような顔だった。
「舐めるなよ、お前っ……!」
対して自分の手駒を失った東川の偽者は怒りで肩を震わせながら零語を睨む。乱暴な動きで一番上の札を引いた。
それから零語と東川の偽者の攻防は続いた。零語が美しいと称していた《リブリバリア》は行き位当選の活躍をしていた。東川の偽者が繰り出す戦略によって、他の生き物が倒れる中、不死身の能力を持つ球体の龍だけは怯む事も倒れる事もなく東川の偽者に挑んでいった。だが、その攻撃が止まる。
「厄介な壁だ」
零語は苦い顔をして東川の偽者が並べた軍勢を見た。
そこに並ぶは黒い鎧《暗黒鎧ジャガード》三体。零語が舌打ちをするほどの厄介な敵だ。そして、東川を守るように最後の楯が残っていた。
零語を守る楯は二枚。彼が扱う駒で残っているのは《リブリバリア》のみだった。
「不死身の《リブリバリア》で突破してみるか?だが、《ジャガード》は三体。《リブリバリア》が持つ能力は残り二回しか使えんぞ?」
「戦う前に比べて随分とおしゃべりになったな……。静かにさせてやるよ!」
零語は一枚の札を引く。それを確認した彼は「良し」と呟き、すぐに使用した。瞬間、その場を金色の光が包む。登も目を開けていられないほどだった。
「呪文《マスター・スパーク》。これで《ジャガード》三体を無力化する。登君、よく見ていたまえ。あ、この状態では見ていろと言っても無理か。説明だけしておく。デュエル・マスターズは駒となる生き物、クリーチャーと呪文を使って戦うものだ。今のような呪文は一度しか使えないが強力なものだよ。さて……」
光が収まったのを感じ、登は目を開けた。目を閉じていた間、零語が説明した通りで《ジャガード》三体は膝をついていた。その上を飛び、《リブリバリア》が最後の楯を槍で貫く。
「これで、楯はなくなった。あとは、東川を真似たその忌々しい顔を殴ってやるだけだね」
そう言った後、零語は背後にいる登を見て言った。
「万年筆に傷はついていないだろうね?」
「随分と舐めてくれるのだな……」
怒気に満ちた声が零語と登の二人の耳に届く。零語はやれやれという風に面倒臭そうに東川の偽者に向き直った。
「言っておくけど、僕の手札にはまだ《マスター・スパーク》みたいに《ジャガード》を無力化出来るカードがあるからね。悪あがきはやめて欲しいな」
「悪あがきではない。お前の希望を消し去るだけだ!」
東川の偽者は《ブラッドレイン》を召喚する。
「今さら《ブラッドレイン》かい?」
「いいから見ていろ。これで、お前の《リブリバリア》は終わりだ……!」
東川の偽者は《ブラッドレイン》の上に一枚の札を重ねた。その瞬間、《ブラッドレイン》の姿が黒い煙に包まれる。
「この感じ……。天野先生が《リブリバリア》や《シルドアイト》を出した時と同じだ……!」
黒い煙の中で《ブラッドレイン》は雄叫びをあげながらその姿を変えていく。獣のような叫びと共に、それは黒い翼を広げて周囲の煙を吹き飛ばす。鋭い爪が生えた四本の足が地面を捕え、虎にも似た模様の肉体を震わせた。下半分、骨が剥きだしになった顔を見た時、登はそれが龍である事に気付いた。
「《悪魔龍王ロックダウン》!私の最高の僕(しもべ)!!これなら、《リブリバリア》も敵ではない!やれ!」
東川の偽者の命を受け、《ロックダウン》は羽ばたく。抜け落ちた黒い羽根が《リブリバリア》の体に触れた瞬間、《リブリバリア》は苦しみ出した。《ロックダウン》の羽根は遠慮する事なく《リブリバリア》の体を狙う。
「まさか《ロックダウン》も《デス・ハンズ》と同じような力を持っているんですか!?でも、《リブリバリア》なら……」
「いや、登君。そう簡単にはいかないんだよ。《リブリバリア》はもう助からない」
零語はかぶりを振った。彼が言うように《リブリバリア》の体は腐食し、力を失い、地面に激突する。
「まだ楯は二枚も残っているじゃないですか!それを使えば……!」
「それでも無理なんだ。《ロックダウン》は登場時に相手の生物の生命力を六千減らす力を持つ。《リブリバリア》の生命力と同じ数字。それが尽きたら、楯を犠牲にして蘇らせても助からない。悪戯に楯を消費する訳には行かない」
「そんな……」
「これで逆転だな!」
東川の偽者の声を聞いて、登は彼を見た。そこには本物とは違う人を見下し切った表情があった。こんな顔を見て終わるのは嫌だ。登は強くそう感じた。
「《リブリバリア》の次はお前達だ。早く食らいつきたい。そうしなければ、餓死をする体なのだからな!」
東川の偽者は左手で札を持ち、右手を変形させていた。野良猫の命を吸いつくした時と同じ、白い手だ。
「舌なめずりはまだ早いんじゃないかな?」
「そうだな。では、喰らえ!」
《ロックダウン》の爪による攻撃が零語の楯、二枚を葬る。その内の一枚が光った。
「よし!《アキューラ》だ!これで《ジャガード》一体を無力化!」
現れた騎士《アキューラ》によって三体の黒騎士の内、一体は動きを止めた。だが、残り二体が東川の偽者を守っている。焼け石に水だ。
「あと一撃。あと一撃で極上の食事が手に入る。お前達、二人とも原型の事を知っていたな。お前達の記憶、いい栄養になりそうだ」
「へぇ……」
東川の偽者の言葉を聞きながら、零語は静かな顔で自分の山札の上を撫でていた。その仕草を見た登が叫ぶ。
「落ち着いている場合ですか!」
「危ない時は落ち着かないとよくないよ。それにこれはいい札を引くおまじないさ。それ!……あー、そんなによくない札だ」
東川の偽者は血走った目でその光景を見ていた。彼はもう、手を伸ばすだけで食事に手が届く距離まで来ている獣と同じだった。我慢など出来ようがない。
「天野先生、さっき《マスター・スパーク》が手札にあるって言ってましたよね?」
「言ってないよ?」
「じゃあ、どうするんですか!勝ち目がないですよ!」
「早くしろ!」
零語と登のふざけたやり取りに我慢できず、東川の偽者は叫ぶ。それを聞いた零語はやれやれという風に溜息を吐いた。
「《マスター・スパーク》があるとは言ってないが、《マスター・スパーク》みたいな切り札ならある。これでやっつけてやるよ」
そう言うと、零語はカードを動かし始めた。その動作を見ながら、東川の偽者は背筋に寒気を感じた。本能的恐怖と言ってもいい。東川を模写してこの世に誕生してから今までの間、一度も感じなかった恐怖だ。
「君の敗因は自分を倒せる相手に出会わなかった事だ。自分より強い相手を知る術があったなら、僕と出会った時、急いで逃げていただろうね。いい機会だ。精神的に向上心がないのでなければ学んでおくといい。消滅する何秒か前だが、学ぶ事は重要だ」
零語の言葉を聞きながら、東川の偽者は震え、登は意味が判らず呆けた顔をしていた。
「進化」
その声と共に《アキューラ》が光を発する。それは神聖さと神々しさを感じる白い光。登が西洋の教会を思い出すようなそんな光だ。
高く美しい鳴き声と共に二対の光の剣が姿を見せる。その直後、白い翼を広げ、白い龍がその場に現れた。
「《聖霊龍王ミラクルスター》だ。この龍でお前を滅ぼす!」
《聖霊龍王ミラクルスター》の右の剣が飛んでいく。それは二体の《ジャガード》の前に突き刺さり、音色を発した。その音を聞いた《ジャガード》は眠るように倒れた。
「何をした!何をしてくれたんだ!」
「《ミラクルスター》は登場時に相手の駒二体を無力化出来る。そして、進化だからすぐに攻撃が出来る。この意味が判るね?」
三体の《ジャガード》の内、一体は《アキューラ》、二体は《ミラクルスター》によって無力化された。もう東川の偽者を守る者はいない。負けを察して怯える。東川の眼前に、《ミラクルスター》のもう一本の剣が突き付けられる。
「さて、とどめを刺す前に質問しておこう。お前達の目的はなんだ?」
怯え切っていた東川の偽者だが、これを聞いて苦し紛れの笑顔を見せる。相手を見下した笑顔だ。
「言うと思うか?」
「聞くだけ無駄だったか……」
零語はかぶりを振った。そして、自分の龍に命令する。
「《ミラクルスター》!東川の姿をした偽者を滅ぼす!とどめだ!」
《ミラクルスター》の二本の剣が東川の胸に突き刺さる。青い血を噴き出した後、東川の偽者は灰色の煙となって消えて行った。

「何で助けに来てくれたんですか?」
登は零語に自分の疑問をぶつける。
戦いが終わった後、カードを片付けた零語は疲れてその場に座り込んでいた。「ペンより重い物を持たない」というのも冗談ではないのかもしれない。
「万年筆の為だ。勘違いするんじゃないよ」
息が整ったのか、彼は立ち上がって答える。白いズボンを叩いて汚れを落とす事も忘れてはいなかった。
「でも、それなら!それだったら、万年筆だけ持って行けばいい事じゃないですか」
それを聞いた零語はなるほど、というように手を叩く。
「なるほど。実にいい考えだ。だが、僕だってそこまで薄情者じゃないさ」
そう言った零語は登に手を伸ばす。
「君は僕の小説を読んだ時、感動してくれただろう?」
「え?あ……!」
彼が言う通りだった。そして、自分が心奪われた事に零語が気付いていた事に驚いていた。自分の小説を書くのに夢中で、他のものは目に入っていないと思っていたからだ。
「恐らく、君は東川が一番だと思っているんだろう。今はそれでも構わんさ。でも、僕はいずれ君の中で東川以上の存在になってやる」
「天野先生」
そう言う彼の目は東川と同じものだった。登は自分に向けられていた手をつかむ。
「よし!そうと決まったらまずは腹ごしらえだ。君、薫風館で何も注文しなかったところを見ると、貧乏なんじゃないかね?じゃあ、どこかのそば屋にでも行こう!そこで何か食べながら続きを書こうじゃないか!」
そう言うと零語は登を引き摺るようにして歩き出した。

翌日。午後の薫風館にて。
「いい気分だ。そして、今日の紅茶もいい香りだ」
「昨日の代金も一緒に支払って下さいね」
零語は来たばかりの紅茶の香りを楽しんでいた。それを登が見つける。
あの後、宣言通りそば屋に行った二人はそこでそばを食べた。そばは零語のおごりだったが、食べたのは二人ともかけそばだ。薫風館のようなカフェーの食事に比べたら非常に安価である。
零語の小説は昨晩の内にそば屋で完成した。全て登の手帳に書いたものだったので、彼が原稿用紙に清書して編集長に手渡した。東川の作風とは対照的なものだったが、編集長は喜んでいた。
「あら、いらっしゃい。零語さんと一緒の席でいいかしら?」
「あ、はい」
「僕の意見も聞いてくれないかな、夏子君」
夏子は零語の言葉など耳に届かなかったように振る舞い、登を座らせる。
「まあいい。今日は機嫌がいい。昨日はいい小説が書けたからね」
「ありがとうございました。編集長も喜んでいました」
「そうだろうそうだろう。僕の傑作だからね!」
しばらくして夏子が登に水を運んできた。登は申し訳なさそうな顔で受け取り、メニューを見て自分でも注文出来そうなものはないか探す。
「あ、そうそう。東川さん見つかったらしいわよ。奥様が午前中に挨拶に来て下さったの。それで東川さんから二人への手紙を受け取ったわ」
「何!東川の奥さんが!」
零語はその言葉を聞くと急いで手紙を読む。登もすぐに手紙の封を破り、中身を読んだ。
それは確かに東川のものだった。登を心配させた事への謝罪と行き詰った事を悔んで遠くへ出かけた事、そこで倒れて入院してしばらく連絡出来なかった事などが書かれていた。
『休んでまた書けそうな気がしてきた。しばらくはこちらにいるつもりだ。また会える日を楽しみにしている』
東川は生きている。また会える。
その事が、登の心を軽くさせた。今まで、彼の心を締めつけていた枷が外れたような気持ちだった。
「なんという事だ!ふざけているのか!東川の奴は!」
対して、零語は憤慨していた。手紙をテーブルに叩きつけると、夏子を呼ぶ。
「夏子君!東川の奥さんは何時頃ここに来たのかね!?何ぃ!?そんなに前なのかい!?急がないと間に合わないではないか!」
そう言うと、彼は薫風館の出口に向かった。
「おのれ!東川がいない間に、東川の奥さんとお近づきになろうと思った僕の作戦が台無しではないか!奥さんの気を引く為に苦労して偽者をやっつけたと言うのに!急げばまだ間に合うかもしれん!がんばれ、僕!」
「今回の分もつけとくわよー」
嵐のような勢いで去っていく零語の背中に夏子は言った。それを見た登は呆れている。
「あんな事考えてたんですか、天野先生……」
「そうね。でも、すぐに振られて帰ってくるでしょ。それに、照れ隠しかもしれないわ。急いで東川さんに会いに行ったのかも」
登は零語が置いた手紙を見た。そこにも、今、自分がいる場所が記されている。そこに東川の妻が来ている事も書いてあった。
「そんな零語さんだけど、これからもよろしくね?」
「はあ……」
去っていく夏子に言われて、登はテーブルの上にある手つかずの紅茶を見た。
これが、天野零語と一ノ瀬登が遭遇した最初の事件である。

つづく

次回 第二話 天野零語について

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